生きる記録

feel so good

文章書くのは難しいなって話

 

こんにちは。約束を破りまして再度彼女でございます。うざいって?うるせぇ!

さて、今回の記事ではブログ含めた文章を書くことについて自分の考えを書き留めておこうかなという趣旨で書かせていただこうと思います。

 

突然ですが皆さま、学生の頃作文は好きでしたか?

この質問にはいと答えてくれる人に私は会ったことがありません。

国語の授業の中でも感想文や作文の授業は特に嫌いだったという人が多いように感じております。そもそも学校教育での国語には道徳的側面があり、正解がないはずの作文でも暗黙の正解が存在してしまうように感じます。表す言葉を知らないまま自分の意見も交えて書くのはとても難しいことです。

作文、といっても私の記憶では自分の経験や意見を伝えるのではなく、進級や卒業といった節目に無理やり書かされていたように残っております。

 

 

こんな風にネガティブに捉えてはいますが、私は作文の授業は嫌いではありませんでした。

今、このブログもそうですが適当に頭に思ったことがそこまで順序崩壊せずに文章化出来るからです。過去、自分の作文が誉められたことはありません。自覚していますが、昔から大人の目を気にする可愛げのない子供だったからだと思います。大人が想定する範囲内で、恥をかかない最低限の文章をすらすらと書くことができる(できた)のです。文字数、内容に関わらず大体のものにおいて1番か2番に出していたと記憶しています。その後苦手な子を見てあげてと言われたり本を読んでいたり。

自由にできる時間が長い作文は私にとって楽しい時間だったのです。

 

しかし、私は自分の話を書くことが嫌いです。物語を書くことも怖いのです。

いっそ、『人間失格』の葉ちゃんくらい教師を笑わせる文章が書ければ、自分の話に自信を持てたのかもしれません。そのきっかけは中学1年生の時に遡ります。

 

当時様々なジャンルの漫画にハマっていた私は自分でも二次創作ができないかと思い、絵を描くようになっていました。しかし美術部に所属していた友達(今となってはこの呼び方が正しいのか判断つきません)にさんざん下手と罵られ、絵を描くことが怖くなっていました。それ故文章に移行し、決して私をこき下ろさない人たちにだけ見せて楽しんでいました。

しかし物語の起承転結を完成させるのは難しく何編もの未完作品を生み出していました。

創作用のノートを作って、あーでもないこーでもないと設定を盛り込んでいたのはいい思い出です。

しかし、自分の不注意のせいでクラスメートに見つかり、そこから先生に没収されました。少し性的な内容を含んでいたんだかクラスメイトへの中傷と捉えられる表現があったのか、今では覚えていませんが先生から注意を受け「もう書きません」と約束をしたのです。

 

そこから、最近まで全く文章を書かなくなっていました。怖いのです。自分の文章が批判されることが。人に読まれることが。

この感覚を払拭してくれたのが、サークルの会誌でした。

当時4年付き合った元カレ(このブログで過去の恋愛について触れるのはタブーっぽいけど許してね)に振られ失意と殺意の中過ごしてた私はこの思いをいっそ文章にしてやろうと思い、『元カレを殺す方法』なんて文章を寄稿しました。法学部の知人に相談しながら(もちろん突っ込みどころは満載だったのですが)話して書いてと一万文字オーバーの文章を書くことができたのです。しかも色々な人からほめてもらえるというおまけつき!

その経験をもとに自分でブログを始めました。これも元カレの助言あったとかは彼氏がいじけるのでやめましょう。更新頻度は低いですが記事が読まれる率が高く結構繁盛しているブログになりました。

 

という、文章に関する成功体験から私はいろいろな人にブログとか日記でいいから書くことを広げていきたいと思うのです。もちろん、何者かになれることが約束されるとは正直思っていません。それでも自分の思いを文章に込めることによって楽しく、気分転換になるならお得だと思いませんか。

昔と違って、文章を書くのはデジタル媒体が多いので、相当量書いても残しておくことができますよ。初期の悲惨な文章から、こなれてきた文章まで、比較出来たら楽しそうですよね。

 

というわけでたのむから次は彼氏君書いてくれよ。

 

やり始めると無駄に速筆な彼女でした。皆様ごきげんよう。