日本のゴッサムシティ、新宿でジョーカーを遅ればせながら観てきました。
彼女です。ネズミは走ってるしカオスだし一瞬「アレ?見終わったのにゴッサムシティ?」とかなるよね!ならないか!!
どちゃくそこのブログが好きな人なら見たかもしれませんがこのブログはもともとダメダメな日の彼女の自分語りブログでした。
更新でジョーカーの感想に行くぜよ!!!
彼女と映画
まずね。これ先に弁明したいんですよ。感想とか考察とかにガチを求められると怖いから。
私は月に1度映画を観ようとして挫折する程度には映画を観ません。
映画館で大人しくできないタイプです。飽き性です。
家で見てると飽きるので稀に映画館に行っています。これはADHDでは?ってくらいふらふらしてます。
彼氏君がauプレミアム加入しているので二人とも1100円になりました。なので今回は映画を観ることにしました。
ネタバレを先に見たい派
あらすじを知っておかないと飽きるってのもあるんですが、映画の時に『どこにどんな視点を持って観ればいいのか』というコツが分かるため、観る前に感想を読むのが好きです。
『ジョーカー 感想』とか『ジョーカー 考察』辺りの上位は大体読みました。
ジョーカーがどんなヴィランなのかも知らず、スーサイドスクワットに出てきたハーレイクインの恋人ってイメージしかないのに観たがっていたので...先にネタバレ見て良かったです。
※※※ここからはネタバレを含みます※※※
ジョーカーでぐっと来たところ
最初から最後まで結構グッとなり続けて、せっかく買ったポップコーンが食べれなかったんですが、特に私がおおってなったのは走り方でした。
ピエロの時、看板を奪われ少年たちを追うとき。走り方がドタドタと弱者的に描かれていました。あぁ、これは追いつけないと見てるこちらまで伝わってくるような。
対照的に、彼が警官から逃げるシーン。全身を映さず躍動的に描かれることで、逃げ切れるのかと思わせてくれる。
小説や漫画派の私ですが、この描写分けを見ると映画っていいよなぁと思います。
回想がほぼ一切ない映画ながら、生い立ちの苦しさを想像させる辺り要所要所が良かったですね。
色々な物事への『逃げ方』を見て欲しいと思いました。
彼女的考察
この映画ですが、終わり方や妄想の入り方等々、解釈の仕方が何通りもあります。
一番よく見かける説は全部彼の妄想だった、という説ですね。彼女的考察をしれっと書きたいと思います。これは議論しても面白そう。
妄想のトリガーは?
薬が切れたことにより、妄想の悪化があったというのは強い説だと思います。
その中でも特に『笑いの発作』前後で、自分の嫌な気持ちを消すために記憶の上書きをしたのではないかな、と考えています。
また、特に大きなショックの度に劇中に描かれていない発作があり、妄想をした?と捉えました。
が、、、いかんせん映画中に集中して観たんですが妄想の切れ目が分かりにくい。
序盤の妄想時は『かっこいい』ジョーカーは全部妄想説を持ち観ていたのですが、それで行くと後半は全部妄想?
いや。でもラストの赤い足跡は精神科に危害を加えた後のはず。
考察論議が白熱しそうですが、改めて話しながら観たいですね。
どこまでが『現実』か
個人的には全部、最後まで基本的に現実だったんじゃないかなって思っています。
実際に荒廃しきった街では犯罪が起きやすいのは事実ですし、あくまでアメコミの世界観。であれば暴動まで行ってもおかしくない。
精神系のお薬が切れたのは妄想を誘発したかもしれませんが、行動的すぎるジョーカーを抑えていたとも考えられます。
ジョーカー自身、不安感や苦痛を取るために飲んでいると思っていたものが、実際はジョーカーの過激すぎる思考を抑えていたものだとしたら?行動力を常人程度に抑えていたとしたら?ジョーカーの残虐さを抑えていたとしたら?
全部が事実、それもあり得るのではないかなと思います。
時系列の検証
上記の現実説を持ち出してからこの話をするのも微妙なんですがね。一応考察してもいいっすか?ありがとうございます。
ジョーカーとバットマンの年齢差ありすぎとか実は最初がもうこの騒動の後だったとかいろいろと考察されているんですよね、ここも。
なのでとりあえず観た感想を。
上でも書いた通り、私は薬がジョーカーの残虐性を抑えてたという考えを持っています。
なので投薬前のジョーカーも何か犯罪をして、しかし精神鑑定的に出され定期通院があったのかなと思います。そのあと、再犯もなかったし市の予算的にも厳しくなったとか。知らんけど。
年齢差に関しては他作品観てないから分からないんですよね。ゴメンナサイ。
陳腐な感想
危険思想だ!!アメコミの名を借りた監督の社会的な映画だ!!とか見たけど、実際そういう声があってもおかしくないと思います。
これからの日本で起こってもおかしくない問題だと思いましたもん。
国民皆保険が日本のいいところだったのに、高齢化や若い層の年収低下とかで日本も見えてきましたよ。
特に都内のどこかしらがゴッサムシティ化するの、全然あり得ますよ。
無敵の人、は日本でも話題になったワードですが、そんな人たちがこれからどんどん増えていきます。どうあがいても、政府が変わらなければ(危険思想っぽい発言ですね)。
結局さ。ジョーカーに必要だったのは、何なんでしょうね。
愛さえあればジョーカーにならなかった、っていうのは本当ですか?
代理ミュンヒハウゼン症候群の代表みたいな母親がいなければ良かったの?
個人的には居場所かなぁ、と思いました。愛とはまた違った形のね。
自分はどこにいればいいのか。どこなら所属を許されるのか。誰が自分の存在を証明してくれるのか、って高度に文明化されたホモサピエンスとして生きるなら必要になってきますもんね。
職場、恋人、家族、趣味の場、等々。自分で居場所を確保するのって、本当に難しい。
特に、自分が周りからズレてる人からしたら、所属を認められた感覚を得られるようになるまでに時間が掛かりすぎる。
それならば。悪になることで自分をアピールしよう。支持者を得よう。
そう考えてもおかしくないですもん。私もそうなりそうな一面がありますもん。
さて、この話が実際に起こらないことを祈るばかりです。